Vol.21

はるか海の上でめぐり逢えたら

「25年生きてきたけれど私の人生、刺激もトキメキもない。ドラマみたいな人生ってどうやったら起こるんだろ?」。初雪を記録した12月下旬の深夜、自分の部屋でドラマ「菜の花の沖」を見ながら、はるかはお煎餅を食べていた手をはた、と止めた。なんの予備知識もなく見始めたのだが、そのストーリー展開にすっかりハマってしまった。江戸時代、北前船で財をなし、命をかけて海に生きた高田屋嘉兵衛の物語で、ところどころ散りばめられた恋物語もはるかの胸を揺さぶった。

やさぐれた心を鎮めようと、2階の自室から1階のキッチンに降りていった。父も母も妹も、愛犬のマロンも寝静まった深夜2時。「ふるさと納税でもらった日本酒の残り、まだあったよね」。冷蔵庫から酒瓶を取り出し、足音を立てぬようそーっと階段を登ってふたたび部屋に戻ると、飾り棚から一つのお猪口を選んだ。釉薬を一切使わず高温で焼き締めた備前焼の器で、質実剛健、ある意味、武骨なその姿は多くの茶人に愛された「侘び寂び」の境地にもつながる。

はるかはお猪口にうやうやしく酒を注ぎ、口に含むとゆっくりと目を閉じた。岡山県の特産である雄町という酒造好適米を使って醸されたこの酒は、華やかな香りが鼻からふわっと抜け、芳醇な味わいが後をひく。あと1杯、あと1杯、すっかり杯が進み、すっかり酔っぱらったはるかは、お猪口を落としてしまった。

「あっ!貴重な血の一滴が」。高価なお猪口よりもこぼした酒を気にするのがのん兵衛のはるからしいが、「投げても割れぬ」と形容された通り、備前焼の器は床に落としたくらいでは簡単に割れない。お猪口を取ろうと腕を伸ばした瞬間、バランスを崩したはるかは椅子から豪快に転げ落ち、床に倒れてしまった。

次に目を覚ますとそこは波が荒れ狂う船の中。大きな帆を一枚張っただけの木造の船は右に左に激しく揺れ動き、柱につかまっていないと身体ごと海に放り出されそうなほど。「あらっ?あたし、どうしちゃったの?あのドラマの中に迷いこんじゃった?」。船内には15人ほどの男衆がいて、どれもちょんまげを結い、もんぺに作務衣のようなものを羽織った、小柄だが屈強な男たち。「ちょっとこれ、いつの時代よ」。暴風雨の中、積み込んだ荷物がほどけないよう必死に縄でしばり直す男たち。中には、自らのまげを切り落とし、それを天に向けて差し出し、荒れ狂う海が鎮静するよう祈る姿も。

必死で柱にしがみつくはるかの手は寒さでかじかみ、身体から力がどんどん抜けていく。容赦ない大波がはるかを海にさらおうとした瞬間、一人の船乗りがはるかの腕を取り、柱にしっかりとからませると、彼は手にしたまげを手渡し、「これがうちのまげじゃけぇ。これをうちと思いんせー」。そう叫ぶと、はるかの身代わりのように、冬の荒波に飲み込まれてしまった。

次に目覚めると、自分の部屋のベッドの上。床には深夜、落とした備前焼のお猪口が転がっていて、硬く握りしめた右手を恐る恐る開いて見ると、あの時のまげが確かに握られていた。

「夢じゃなかったの? あの船乗りは一体誰?」。とまどいながらも、自分を救ってくれた船乗りへの好奇心が抑えきれないはるか。お猪口を手に取り、もしかしたらこの焼物が何かの手がかかりをくれるかもしれない。

「そうだ、備前に行ってみよう。備前焼の窯元を訪ねてみよう」。はるかはそう決心するのだった。


映画「ハルカの陶」は、東京で人生の目的が持てなかったOL小山はるかが、一枚の備前焼の大皿と出会ったことで、備前焼に心を奪われ、東京での生活を棄てて岡山へ移住。若手の天才窯元の元で修業しながら、備前焼作りという夢に向かって奮闘しながら、人間的に成長していく物語です。

六古窯
日本六古窯は、古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な6つの窯(越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前)の総称です。
昭和23年頃、古陶磁研究家・小山冨士夫氏により命名され、平成29年「日本遺産」に認定されました。